赤毛連盟
 あんな光景は願っても二度と見られませんよ、ホームズさん。北から南から、東から西から、髪の毛の赤いという男がだれも彼も、広告を見て中心区(シティ)へてくてくと行進して行くんでさ。フリート街は窒息しそうなほど赤毛の人並みであふれていて、ポープス・コートはオレンジ売りの手押し車のようでした。ただ一つの広告が国中からこんなにも大勢かき集めるとは、想像もつかんことですよ。わら色、レモン色、オレンジ色、レンガ色、アイリッシュ・セッター(※12)みたいな色、レバー色、粘土色、ありとあらゆる色合いの赤毛がおりました。だがスポールディングの言ったとおり、本当に鮮やかな炎(ほむら)色はおらんのです。こんなに多くの人が順番を待って並んでいるのを見ると、もう選ばれるわけがないとあきらめていたのですが、スポールディングが聞き入れないので同じように並んでいました。そのときどうしたかおぼつかんのですが、あれはわしを押したり引っ張ったりして、人混みを抜けるまでいろんなものに当たりながら、事務所に続く階段の前まで連れてったんですわ。そこには、希望を持って階段を上る人の列と、意気消沈して降りてくる人の列、その二つの人の流れがあってねぇ、わしらは何とかして列に無理矢理割り込み、ついに事務所の中に入ったんです……」
「それは何とも面白い経験をなされました。」ホームズは言った。ちょうど依頼人が話を中断し、大きな嗅ぎ煙草を一本くわえ、記憶を新たにしようとしているところだった。
「惹かれる話です。どうぞ、そのまま続けてください。」
「その事務所は二脚の木の椅子と松材の机の他には何もなく、その後ろにわしよりも赤い髪の小男が腰を下ろしていました。そいつは人が入ってくると、志願者それぞれに二言、三言かつぶやいて、何とか粗を見つけては、不適の烙印(らくいん)を押しつけとるのです。これでは資格を得るのはやはり、簡単とは言えそうにありませんでした。ところが、わしらの番が回ってきたとき、小男は他のやつよりひどく好意的な目をわしに向けたんですわ。わしらが入ると、秘密の話をしようと扉を閉めたのです。
『ジェイベス・ウィルソンと申されます。』と、まごついていたわしを、スポールディングは横から口添えをしてくれました。『連盟の欠員を補いたいと希望されています。』
 相手はあれの言葉を聞くと、こう答えたんです。『まさに適任だ。この方なら全ての条件を満たしている。こんなにも燃えさかるような赤は……見たことがない。』って、それから、その男は一歩後ずさり、首を傾げて、こっちが恥ずかしくなるほど髪をじっくり見るのです。すると突然、つかつかと歩いてきて、両手を硬く握りしめてですね、合格おめでとうと熱烈に言うんですよ。
 それからその相手はですね、『ここで躊躇しては、申し訳が立ちません。』と何やら言い出しましてね、『見え透いたことでも、確かめるまで念には念を入れて……失礼します。』と……! 男はわしの髪を両手でつかんで、ぎゅう、と引っ張りおったんですわ。わしは思わず、あっ、と叫んでしまいましたよ。すると男はですね、『ん、涙が出ましたね。』とか言って手を離したんですよ。『これで問題ないわけですな。だが、我々は気を付けなければならんのです。今まで、かつらで二度、染色で一度騙されたことがあるんです。靴の縫糸用のロウ、そういったものを使った話もあるくらいで、人間の浅ましさにはあきれるばかりです。』と弁解めいた言葉を言いながら男は窓の所へてくてくと行って、大きな声で、合格者は決まったぞ、のようなことを怒鳴ったんですわ。そうしたら、がっかりした人たちのため息とかざわめきとかが下から聞こえてきて、人並みはぞろぞろっと散らばっていってですね、赤毛の人間といやぁ、わしとその審査員みたいなやつだけになっちまったんですよ。
 そこで男は改めて、『私の名は、ダンカン・ロスと申します。』と名乗ったわけでして。それから、こう言ったんです。『我々の気高い慈善者はわたしたちに基金を遺してくれましたが、私もその恩給を受けている者の一人です。ウィルソンさん、貴方、配偶者はおありですか? 家族はおありですか?』
 そんなふうに聞かれたもんですから、わしは、どちらもいない、と答えたんですよ。
 すると男の顔がみるみる変わっていくんですわ。
『ああ、困った。』って深刻そうな顔をしてですね、『実に深刻な問題だ。とても残念です。いやね、この基金というのは赤毛の一族を繁栄させ、種の保存をしていくことが目的なのです。残念なことに……貴方が独身だとはね……』
 こんな言葉を聞いてですね、わしもがっかりしちまいましたよ、ホームズさん。やっぱり、そうやすやすと連盟員になんてなれるわけないってね。でも、でもですよ、男はしばらく考えてから、まぁいいでしょう、って言ったんですよ。
 男はそれからこう言うんです。『他の人なら、この点は致命的になりかねないのですが、このような素晴らしい髪を持った方のこと。ここは妥協して規則を曲げなければなりませんね。では、いつ頃からこちらの仕事につけるのでしょうか?』
 そこで、わしはこう言ったんです。『……はぁ、ちょっと都合が悪いのです。店の方も……ありますもので。』
 するとですね、ヴィンセント・スポールディングが出てきてこう言ったんですわ。『え、ウィルソンの旦那、そんなこと気にするこたぁありませんよ。店の面倒はあっしにだって出来ますから。』
 ですから、わしは次にこう聞きました。『勤務時間というのは、どのくらいのもんなんですかね?』
『十時から二時までです。』
 ところで、ホームズさん、質屋業ってのは大抵夕方が中心でさぁ、忙しいっていっても給料日前の木曜と金曜の夕方くらいなもんです。ですから、朝にちょっと稼ぎがあるだなんて願ってもないことだし、その上、うちの店員はよくやってくれますからね、店をまかしておいても大丈夫ってわけです。
『それは好都合です。』って言いまして、次にこう聞いたんです。『で、給料の方は?』
『週給で、四ポンドです。』
『それなら、仕事の方は?』
『ほんの名ばかりのことですよ。』
『いやだから、その名ばかりの仕事というのは?』
『ああそうでしたね、時間内は事務所……いやせめてこの建物の中にいてもらわなければなりません。もし持ち場を離れましたら、貴方は永久にその資格を剥奪されることになりますぞ。遺言状にもその点ははっきりと明文化されています。勤務時間中に一歩でも外にお出でになられたのなら、そこで即、資格剥奪ということになります。』
『一日四時間なんでしょう? 外に出ようなんて滅相もない。』
 と言ったらですね、ダンカン・ロスさんはびしっと言ってのけるんです。『いかなる理由も許しませんぞ。病気でも、用事があったも、また他のどんな理由であってもいけません。ここに必ずいてください、さもないと首ですぞ。』
『それで、仕事といいますのは……?』
『大英百科事典(エンサイクロペディア・ブリタニカ)を書き写すのです。第一巻はそこの本棚にあります。インクと鵞(が)ペン、それに吸い取り紙は自前でお願いしたいのですが、机と椅子は用意してあります。明日から……よろしいでしょうか?』
 と言いますから、わしは『承知しました。』と答えたんです。そうすると、
『では、今日の所はさようなら、ジェイベス・ウィルソンさん。あなたが幸運にもこの得難き地位につかれましたことを、謹んでもう一度お祝い申し上げます。』と、男はわしを部屋の外へ送り出しましてね、わしもあれをつれて店へ引き返したんですよ。ですがね、帰ってからも、何を言って、何をしてよいのやらさっぱりわからなくなりまして……それほどわしは自分の幸運に酔いしれてたんでさぁ。
 で、一日中そのことばかりを考えていたんですがね、日が暮れるとその酔いもさめてしまったんですわ。というのも、わしは……これはみんな詐欺か悪ふざけにちがいない、目的はよくわからんが、きっとそうにちがいない、と考えるようになったんです。だいたい、どこのどいつがそんな遺言を書いて、大英百科事典を書き写す、そんなつまらない仕事にこんな金を払うんでしょうか。信じられないんですよ。ヴィンセント・スポールディングはね、わしを乗り気にしようとはやし立てるんですが、もう寝る時分になると考えるのをやめにしました。でも……朝になると、まぁとにかく一度行ってみるくらいはしてみようと、そう決心しましてね、インクの小瓶と鵞ペン、フールスキャップ判(※13)の紙を七枚買って、ポープス・コートへ出向いたんです。
 え、驚きましたし、喜びもしました。まったく話の通りだったんですからね。机が私専用に置いてあって、ダンカン・ロスさんがわしがちゃんと仕事に取りかかるか、見届けに来ていたんです。ロスさんはわしにAのところから書かせ始めると、部屋を出ていったんですが、ときどきちゃんとやってるかを見に来ていました。二時になると、もう帰っていいってことになってですね、わしの仕事ぶりをえらく褒めてくれましてね、そうしてわしが部屋から出ると、事務所のドアに鍵をかけてしまいました。
 来る日も来る日も仕事をしたんです。で、ホームズさん、土曜日になるとロスさんがやって来て、一週間分の給料としてソヴリン金貨(※11)を四枚くれたんです。次の週も、その次の週も同じでした。毎日十時にそこへ行って、午後二時にそこを出ます。次第にダンカン・ロスさんは朝に一度しか来ないようになって、そのうちさっぱり顔を見せないようになってしまいました。でも、もちろんわしはその部屋を一歩も出ませんでしたよ。いつ来るかもしれませんから。それにこんなによくてですね、わしにぴったりな仕事をそうやすやすと手放す気にはなれないってもんです。
 そんなこんなで八週間が過ぎました。わしは……Abbots, Archery, Armour, Architecture, Attica(※14)……と写していってですね、もうちょっとやりゃぁ、そろそろBのところにも取りかかれるかな、と思っていたんです。フールスキャップの代金も相当かさんできてましたからね。わしの書いたものも、棚一段、満杯になろうとしていたんですよ。ですがね、……急に、仕事がふいに……なってしまったんです。」
「ふいに?」
「そうですとも。それもつい今朝のことですよ。いつものようにね、十時に仕事へ向かったんです。でも、扉が閉まって開かんのですわ。すると、扉のパネルの真ん中あたりに、小さな四角いボール紙が鋲(びょう)で止めてあったんです。それがこれですよ。ご自分でご覧になってください。」
 ウィルソン氏は一片の白いボール紙を差し出した。メモ帳くらいの大きさだった。そこにはこう書かれていた。
赤毛連盟は解散する。
 一八九〇年十月九日
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by i000148 | 2006-03-04 11:28